車田先生の日々是世界史 第22回「パレスチナ問題の発端」
前回まで宗教について綴ってきましたが,今回は現在泥沼化・長期化しそうな「パレスチナ問題の発端」特にユダヤ人が歴史上どんな迫害をうけてきたのか!について綴っていきます。
19世紀末,ユダヤ人の祖国復帰運動である「シオニズム運動」がヨーロッパで起こりました。きっかけは,1880年代に開始されたロシア・東ヨーロッパでのユダヤ人の排斥運動である「ポグロム」や1894年にフランスで起こった「ドレフュス事件」です。
特に「ドレフュス事件」は,フランスのユダヤ系軍人であるドレフュス大尉がドイツのスパイ容疑で逮捕,位を剥奪されて終身刑となった事件ですが,実は冤罪で真犯人が見つかったにもかかわらず軍部はドレフュスを終身刑のままにしようとしたため,自然主義作家「ゾラ」などのドレフュス擁護派が再審を要求してフランス国内の世論が真っ二つに割れて大論争が起こりました。
この頃,フランスでは反ユダヤ主義を唱える人々もかなりいました。こうした中でユダヤ系であるからスパイに違いないと証拠不十分なのにドレフュスを有罪にしてしまいました。
このような反ユダヤ主義が渦巻く中で「シオニズム運動」が起こったのです。
まず,ユダヤ人が迫害されてきた歴史・理由について綴ってみます。ユダヤ人とは一般にどのように定義されているのでしょうか?
『イスラエル帰還法』によれば,「ユダヤ人の母から生まれた者,もしくはラビ(ユダヤ教の聖職者)のもとでユダヤ教に改宗した者」とされています。ユダヤ人が「パレスチナ」の地から世界各地に離散(ディアスポラ)したのは,2世紀前半にローマ支配から独立を目指した「第2次ユダヤ戦争」(132~135年)に敗北した後です。
392年にローマ皇帝テオドシウス帝によってキリスト教が国教化されると,ユダヤ教に対する排斥が本格的に行われるようになりました。ビザンツ帝国でも5世紀の前半にユダヤ会堂(シナゴーグ)の建設・布教が厳禁とされました。
ユダヤ人が迫害される主な理由は,イエスを処刑したことに対するキリスト教徒の不信感のため,ヨーロッパではユダヤ人は土地の私有やギルドへの参加が禁止され,キリスト教で禁止された利子を扱う金融業に進出し,スバ抜けた才覚を発揮したために余計に妬まれるようになりました。
また,ユダヤ人は離散後も「ユダヤ教」の教えである「選民思想」(ユダヤ人はヤハウェの神によってえらばれた民族で,ユダヤ人だけが神の救済を受ける)を堅持したため,ユダヤ人以外の民族に対して排他的である思われました。
イベリア半島がイスラーム勢力に8世紀に征服されると,イベリア半島でイスラーム勢力に対するキリスト教徒の抵抗運動である「国土回復運動(レコンキスタ)」が展開されると,「レコンキスタ」において,ユダヤ人はイスラーム勢力に協力したと見做されて,増々ユダヤ人に対する排斥が高まりました。
この背景には,イスラーム勢力がユダヤ人の故地である「パレスチナ」を支配した事にユダヤ人が好意的な姿勢を見せていた事が,キリスト教徒のユダヤ人に対する反感を強めたのではないかと思われます。
11世紀末になると,聖職叙任権闘争で有名なローマ教皇グレゴリウス7世が,ユダヤ人の公職追放令を布告したり,1096年に十字軍遠征が開始された以降には,フランスやドイツでユダヤ人排斥が起こったり,さらに1215年に開催されたラテラノ公会議ではユダヤ人の服装規定・官職の就任禁止が決定しました。
百年戦争中,1347~50年にヨーロッパで黒死病(ペスト)が大流行すると,ユダヤ人が井戸に毒を投げ込んだとする噂が流れてヨーロッパ各地でユダヤ人の虐殺が起こりました。ペストの大流行以降,ヨーロッパの各都市で「ゲットー」と呼ばれるユダヤ人強制居住区が作られ,強制隔離されるなど歴史上長期にわたり差別扱いを受けています。
492年にイベリア半島で「レコンキスタ」が完成すると,スペイン女王イサベルによってイスラーム教徒だけでなくユダヤ人もイベリア半島から追放されました。また,イベリア半島内のユダヤ人キリスト教改宗者は,「マラーノ」(ブタ野郎の意味)と呼ばれ差別されました。
17世紀以降,欧米でユダヤ人を解放する動きが見られるようになります。イギリスでは,クロムウェルが1657年にユダヤ人のイギリス移住を許可しました。アメリカ合衆国では独立戦争中の1776年にユダヤ人解放が,フランスではフランス革命中の1791年に国民議会がユダヤ人に同権を与える法律を制定しました。
1858年,イギリスでユダヤ人解放がなされた結果,ロスチャイルドが下院議員になっています。
「ドレフュス事件」が起こった結果,ユダヤ人ジャーナリスト「ヘルツル」が中心となってスイスのバーゼルで1897年に第1回シオニスト大会が開催されると「シオニズム運動」がさらに高揚していきました。
それでもユダヤ人に対する迫害は終わりませんでした。1900~05年にロシアで5万人ものユダヤ人が虐殺されると,80万人ものユダヤ人がアメリカ合衆国に移住して,アメリカ社会に溶け込んで政治的・経済的に大きな力を持つようになります。
第一次世界大戦が勃発するとイギリスが中東を巡って秘密外交を展開した事が,「パレスチナ問題」の直接的な発端となっていきます。
今回は「ユダヤ人迫害の歴史」が長くなってしまいましたので,ここまで。次回は,「パレスチナ問題の発生から第二次世界大戦後の状況まで」を綴っていきます。
この記事を書いた人:車田恭一
30年以上にわたり教壇に立ち、都内私立高校、河合塾、Z会東大マスター、東進ハイスクール、早稲田塾、早稲田ゼミナールなど大手予備校で世界史を担当。当塾のブログで、タイムリーな話題と歴史的な出来事を絡めて綴った「車田先生の日々是世界史」を執筆中。