車田先生の日々是世界史(第5回  感染症の世界史 パート2)

車田先生の日々是世界史

みなさん,ご機嫌いかがでしょうか?

「日々是世界史」も5回目となりました。今回のテーマは,前回に引き続き感染症についての第2弾です。

(パート1の記事はこちらです。)

前回は感染症の中でも「ペスト」について触れましたが,今回は人類と感染症がどう関わってきたのかを綴ってみます。

人類が感染症と深く関わるようになったのは,約9000年前に農耕・牧畜を開始して定住するようになって家畜を飼育するようになってからだと考えられます。

家畜を宿主として様々なウイルスが発生したことで,多くの感染症が発生して人類を襲撃するようになってきました。主な感染症としては,マラリア・天然痘・ペスト・麻疹・コレラ・梅毒などが挙げられます。

感染症は,歴史書や絵画の中にも記録が多く見られます。

例えば,現存する最古の文学作品と言われるウルク王ギルガメシュの冒険を描いた叙事詩『ギルガメシュ叙事詩』には,「大洪水よりましな4つの災い(4厄)の一つにエッラ(疫病)」という記述があります。

『ギルガメシュ叙事詩』は,『旧約聖書』やギリシア神話に影響を与えていますね。

また,エジプト新王国の石碑にはポリオ後遺症患者と思われる人物が描かれていたり,未盗掘の墓室で黄金のマスクが発見されたツタンカーメンが,ミイラからマラリア原虫の一部が発見されてマラリアで死亡していたことが分かっています。

紀元前12世紀のエジプト王ラムセス5世のミイラからは,天然痘に罹患していた痕跡が見られます。

古代インドで成立したカースト制の原型であるヴァルナ制は,コレラやマラリアの感染を防止するために厳しい身分制を敷いて,違う身分の接触を避けようとしていたのではないかとも言われています。

紀元前5世紀のギリシアでは,古代アテネの民主政を完成させたペリクレスもペロポネソス戦争中にアテネで感染症(ペスト,マラリア,天然痘など諸説あり)が流行して死亡しています。(前429年)

ペリクレス死亡後のアテネでは,民主政治が腐敗して衆愚政治による混乱とペロポネソス戦争の敗北によって衰退したことは有名ですね。医学の父とされるヒッポクラテスは,インフルエンザと思われる感染症に関する記録を残しています。

アケメネス朝ペルシアを滅ぼした(前330年)アレクサンドロス大王は,インドから帰国してアラビア半島遠征を企画していたバビロンで滞在中に熱病(マラリア?)で亡くなっています。

2世紀後半の五賢帝マルクス=アウレリウス=アントニヌス帝の時代には,「アントニヌスの疫病」(発疹チフス,天然痘,麻疹?)によってローマ帝国の人口が激減したことが財政の悪化を招いて,ローマ帝国が3世紀以降衰退する遠因となったのでは言われています。

また,4世紀後半,ゲルマン人の民族大移動の原因を作ったフン人は,炭疽症から逃れるために移動してきたとも言われています。

その他,6世紀に「ユスティニアヌスの大疫」(ペスト)では,ビザンツ(東ローマ)帝国の人口激減(コンスタンティノープルでは1日に1万人が死亡したとも)を招いて帝国を衰退させた原因となり,

さらにササン朝ペルシアや西ヨーロッパ諸国にペストが拡大して地中海世界を停滞させ,イスラーム勢力の拡大(7世紀以降)の一因となったり,中国にもペストが拡大し隋唐帝国の衰退と滅亡(7~10世紀)の遠因となったといわれています。

8世紀の日本では,「天平の大疫病」(天然痘)が大流行し,聖武天皇による数度の遷都,仏教の普及,奈良の

大仏の建立がなされたりしています。

11世紀末のヨーロッパでは,ローマ教皇の権威が確立(「カノッサの屈辱」)する中,イスラーム教徒から聖地イェルサレムを奪回する目的で十字軍の遠征(1096~)が開始されました。

マラリア,赤痢,壊血病などで十字軍の兵士の多くが死亡しています。結局,十字軍遠征の失敗が失敗に終わったことで,教皇の権威が失墜し,国王の権威が高揚しました。

また,前回触れましたペストは,13世紀に「モンゴルの平和」による人・モノの移動に伴い感染症も拡大(ペストなど)し,中国からペスト(「黒死病」)が世界へ拡大しパンデミックが起こり,ヨーロッパでは人口の3分の1(3000万人)が死亡したと言われます。

その結果,人口が激減したため農民の地位が向上する一方,ペストに対して無力であったローマ=カトリック教会やローマ教皇の権威が失墜し,国王を中心とする中央集権体制が成立し,ルネサンスや大航海時代,宗教改革を起こす原因ともなりました(ペストが流行する中,ユダヤ人の迫害などの人種差別も激化していますよ)。

今回は,古代から中世までの主な感染症と人類の関わりを綴ってみました。いかがだったでしょうか?

人類と感染症は何かと深く関わっていて,歴史に大きな影響を与えています。次回,第3弾で近代以降について綴っていきます。

この記事を書いた人:車田恭一

30年以上にわたり教壇に立ち、都内私立高校、河合塾、Z会東大マスター、東進ハイスクール、早稲田塾、早稲田ゼミナールなど大手予備校で世界史を担当。当塾のブログで、タイムリーな話題と歴史的な出来事を絡めて綴った「車田先生の日々是世界史」を執筆中。

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