車田先生の日々是世界史 第19回「インドの宗教の成立〜仏教編〜」
みなさん,ご無沙汰しております。久しぶりのブログ更新です。
前回の更新からかなり期間が空いてしまいました。すみません。今回のテーマは,前回に引き続き古代インドの宗教,特に「仏教」を中心に綴っていきます。
紀元前6世紀頃から「ウパニシャッド哲学」の影響を受けて,「ジャイナ教」や「仏教」が成立しました。
「ジャイナ教」は,「ヴァルダマーナ(尊称はマハーヴィーラ)」が開いた宗教です。「ヴァルダマーナ」は,「クシャトリヤ」階級出身で苦行の末,悟りを開いてジナ(勝利者の意味)となって,「ヴァルナ」を否定して「ヴァイシャ」階級(特に商人)を中心に支持を集めました。
「ジャイナ教」は,無神論に立って「バラモンの権威」を否定し,肉体的苦行(断食など)を行うことによって霊魂の浄化を図り,徹底した不殺生主義(生命の絶対的尊重)と自己救済を目指す修行により「解脱」を図ることを特色としています。
動植物・大気・地・火・水に霊魂の存在を認めていて,五戒(不殺生・不妄語・不偸盗・不邪淫・無所有)を守る厳しい修行を行うことで,「解脱」を目指しました。修行者は,小さな虫一匹たりとも殺さないように地面を掃く箒を持って,マスクも着用しています。現在の信者数は,推定400万人以上とされています。
「仏教」は,紀元前5世紀頃に「ガウタマ=シッダールタ(シャカ)」によって開かれました。「ガウタマ=シッダールタ」の生没年に関しては,前563年頃~前483年頃や前463年頃~前383年頃など諸説があります。
「ガウタマ=シッダールタ」は,現在のネパール南部ルンビニで4月8日に誕生したとされています。シャカ族の王シュッドダナとマーヤーとの間に誕生しましたが,母であるマーヤーが産後の肥立ちが悪く,産後7日で亡くなると,叔母であるマハープラージャーパティによってカピラ城で養育されました。
シャカ族の王子として何不自由なく育った「ガウタマ=シッダールタ」でしたが,世の無常を感じ,生・老・病・死に悩み(四苦),29歳で出家しました。断食などの難行苦行の末に35歳でブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開いて,「ブッダ(仏陀)」となりました。
「ブッダ」は,ヴァラナシ郊外のサールナート(鹿野苑)で初めて教えを説き(初説法),以後45年間インド各地で布教活動を行い,80歳の2月15日にクシナガラの沙羅樹の下で枕を北にし,右脇を下にして亡くなった(涅槃)とされています。
「ブッダ」の教えは,「ジャイナ教」と同様に「ヴァルナ」や「バラモン」の権威を否定し,「クシャトリヤ」階級の支持を集めました。「ブッダ」は,人生は四苦(生・老・病・死)であり,苦しむ原因は,縁起(万物の真実の姿)についての無明(無知)あり,「八正道」を実践することで「解脱(悟り)」できると説いています。
「八正道」とは,「八聖道」とも表記され「仏教」における最終目標である「解脱」,つまり「悟り」の境地に至るまでの8つの修行の方法です。「正見(しょうけん)」・「正思惟(しょうしゆい)」・「正語(しょうご)」・「正業(しょうごう)」・「正命(しょうみょう)」・「正精進(しょうしょうじん)」・「正念(しょうねん)」・「正定(しょうじょう)」です。一つ一つの説明は省略しますが,簡単に説明すると,人間は偏った行動や見方をせずに生きなさいという事でしょうかね?(なかなかこれが難しいのですが…)「仏教」においても「八正道」を達成できたのは,「ブッダ」だけです。
この後,「仏教」は古代インドに統一国家が誕生することによって,国家宗教となっていきました。インド最初の統一王朝とされる「マウリヤ朝」では,第3代「アショーカ王」(位前268年頃~前232年頃)が仏教に帰依したことで,「仏教」の教えに基づく統治方針「ダルマ(法)」をインド各地に示しました。この事で「仏教」は,インド各地に広まって国家宗教となっていきます。
「アショーカ王」はインド以外にも仏教を布教しています。王子マヒンダをセイロン島(現在のスリランカ)に派遣しています。さらに,第3回の仏典結集も行いました。
「仏典結集」とは,「ブッダ」の弟子たちがインド各地に散らばっていた「ブッダ」の教えを編集した作業です。当時のインドでは口伝で「ブッダ」の教えを広めていたため,教説の整理・統一を図って「仏典結集」が行われました。しかし,「仏教」自体は,「ブッダ」が亡くなった後,弟子たちの間で戒律の守り方をめぐって対立が生まれて,「部派仏教」といわれる仏教教団の分裂が起こりました。保守派を上座部,革新派を大衆部と呼びます。
「部派仏教」の対立を批判して出現した宗派が,「大乗仏教」です。「大乗仏教」は,紀元前後には成立していた考えられ,2~3世紀には理論が確立しています。
「大乗仏教」の理論を大成したのが「ナーガールジュナ(竜樹)」です。「ナーガールジュナ」は,サータヴァーハナ朝時代の仏僧・学者で『中論』を著して「空」や「縁起」の思想を大成しました。「大乗仏教」の中心思想は「菩薩信仰」です。「菩薩信仰」とは,出家信者(仏門に入って厳しい修行を行う信者)・在家信者ともに慈悲による救済が得られるとする考え(衆生救済)で,「他利行」(自分自身よりも他人の救済を優先する)に基づいて人々を救済するために修行に励んで悟りを開こうとする存在です。「大乗仏教」は,西域を経由して中国・朝鮮・日本などに伝播してきたために「北伝仏教」とも呼ばれます。
一方,「大乗仏教」側から「小乗仏教」と蔑まれたのが「部派仏教」中でも保守派に当たる「上座部仏教」です。「上座部仏教」は,「ブッダ」の教え(戒律)を遵守して出家して厳しい修行を行い,みずからの解脱を目指すこと(自己解脱)を重視する宗派です。セイロン島からビルマ(ミャンマー)やタイなどに伝播したので「南伝仏教」とも呼ばれます。
こうした対立が起こる中,「仏教」はマウリヤ朝(前317年頃~前180年頃)・クシャーナ朝(後1世紀~3世紀)・グプタ朝(320年頃~550年頃)・ヴァルダナ朝(606年~647年)などで保護されて国家宗教としての地位を築き上げました。しかし,グプタ朝時代に「ナーランダー僧院」が設立されると,仏教教義の研究が中心となって次第に民衆の支持を失っていき,替わって「ヒンドゥー教」がインドの人々には信仰されるようになっていきます。今回はここまで。次回は「イスラーム教」の成立について綴りたいと思います。
この記事を書いた人:車田恭一
30年以上にわたり教壇に立ち、都内私立高校、河合塾、Z会東大マスター、東進ハイスクール、早稲田塾、早稲田ゼミナールなど大手予備校で世界史を担当。当塾のブログで、タイムリーな話題と歴史的な出来事を絡めて綴った「車田先生の日々是世界史」を執筆中。