車田先生の「日々是世界史」(第2回 中国共産党100年 その成立の歴史)
みなさん,いかがお過ごしでしょうか?私は,気温や気圧の変化に身体がなかなか付いていかずに偏頭痛で頭が重~い日々です。(年齢的なものかなぁ)
第2回目の「日々是世界史」です。今回のテーマは,2021年に結成から100年を迎えた「中国共産党」です。
最近では,習近平主席の動向や「歴史決議」が話題になっていますよ。今回は,「中国共産党の成立」した背景・歴史を,まずは綴ってみます!
さて,みなさんは現在の中国(中華人民共和国)に対して,どういう感じを抱いているでしょうか?
SNSや新聞,テレビの報道を見ていると,あんまりいいイメージをもっていない人が多いのかな?個人的にはそう感じるかなー。
中国(清朝)は,1840年のアヘン戦争以降,イギリスなど外国勢力によって半植民地化されていました。
19世紀後半から国内の近代化を試みましたが,なかなかうまくいかずに1911年の辛亥革命によって清朝が倒されて,中国史上初の共和政国家である中華民国が1912年に建国されました。
つまり,中国の歴史上初めて王や皇帝がいなくなりました。ただし,中華民国内では内部対立や外国勢力の圧力でなかなか混乱は収まらない状況でした。
1914年に第一次世界大戦が勃発すると,日本政府が当時の中華民国政府(袁世凱政権)に対して,1915年に二十一カ条要求を突きつけて圧力をかけると,中国の人々に反日感情が高まりました。
第一次世界大戦後に開催されたパリ講和会議に出席していた中華民国の代表は,二十一カ条要求の撤廃を主張したのですが,無視をされてしまいます。
これに怒った北京大学の学生が中心となって,市民・労働者を含めた全国的な規模の反帝国主義・反封建主義の愛国運動が1919年5月4日に起こると,瞬く間に全国に拡大しました。これが五・四運動です。
第一次世界大戦中,北京大学の教授を中心に「新文化運動」という啓蒙運動が展開されていました。(この新文化運動こそ五・四運動が起きた背景にあるんですよ!)
スローガンに「民主と科学」を掲げて,従来の儒教道徳や古い因習を批判したんです。
北京大学教授の陳独秀は,1915年に『青年雑誌』を創刊すると,翌年『新青年』と改称し,様々な思想などを紹介しました。
1917年にアメリカに留学中であった胡適が,『新青年』に「文学改良芻議」を寄稿し,白話文学(口語体で文章を書くこと)を提唱しました(文学革命)。この白話を実践したのが,魯迅です。
魯迅は,日本との関係が深い人物です。(詳細な事はまたどこで触れればと思ってます。)魯迅は,1918年に『新青年』に『狂人日記』を白話で発表しました。
また同年には北京大学教授の李大釗がマルクス主義研究会を設立して,中国にマルクス主義を紹介しました。
第一次世界大戦中,ロシア革命によって世界初の社会主義政権であるソヴィエト政権が誕生すると,1919年に社会主義革命を推進するために第3インターナショナル(コミンテルン)が結成されました。
このコミンテルンの指導の下,陳独秀を初代委員長として1921年に上海で中国共産党は結成をされました。毛沢東は,中国共産党結成当時からの党員で第1回の党大会にも出席しています。
中国共産党は,その後,中国国民党と協力体制を取ります(第一次国共合作)が,中国共産党はソ連型社会主義体制の国家建設を,中国国民党はアメリカ型資本主義国家建設を目指していたため対立して内戦に突入していきます。
今回はここまで!
中国共産党が成立した過程を綴ってみました。中国共産党については,今後も色々と取り上げたいテーマがあるので,またの機会に綴っていきます。
今後何か興味のあるテーマがあれば,是非,お知らせいただければ,取り上げる事もありますのでよろしくお願いします。
この記事を書いた人:車田恭一
30年以上にわたり教壇に立ち、都内私立高校、河合塾、Z会東大マスター、東進ハイスクール、早稲田塾、早稲田ゼミナールなど大手予備校で世界史を担当。当塾のブログで、タイムリーな話題と歴史的な出来事を絡めて綴った「車田先生の日々是世界史」を執筆中。