車田先生の日々是世界史 第16回「キリスト教の成立」

車田先生の日々是世界史

かなり気温も下がってきて,いよいよ冬の季節になってましたね。

受験生の皆さんにとっては,受験シーズン到来となってきました。さて,今回のテーマは,「キリスト教」の成立についてです。

 「キリスト教」は,「イエス」を「キリスト(救世主)」であるとする宗教です。

『新約聖書』によると「イエス」は,紀元前7年,もしくは紀元前4年頃,イェルサレム郊外のベツレヘムの馬小屋で母「マリア」から誕生したとされています。

30歳頃に洗礼者ヨハネの教えに共感した「イエス」は,ヨハネから洗礼を受けた後,ガリラヤ地方(パレスチナの北部)で伝道を開始したとされています。

当時のパレスチナは,ローマの支配下にあったために「ユダヤ人」の間には「メシア(救世主)」待望論が高揚していました。

(「ユダヤ教」については,前回のブログを参照してくださいね)

こうした状況下で,「イエス」は,「神の絶対愛」や「隣人愛」を説き,弟子たちとパレスチナの地を旅しながら,病気の人々を治療するなど様々な奇跡を行ったとされて支持者を集めていきます。

神の絶対愛」とは,神が与える無差別・無条件の愛のことです。

隣人愛」とは,自己を愛するようにすべての人を愛しなさいという教えです。

こうした教えが,「ユダヤ教」の「選民思想」と相反するとして「ユダヤ教」の指導者層と対立を生んでいきました。

特に「モーセの律法」を厳格に守るべきとする「パリサイ派」の形式主義を「イエス」が批判したために,「パリサイ派」は,対立していた「サドカイ派」(政治的に現実を重視する祭司層)と手を結んで「イエス」をローマに対する反逆者として,当時のローマ領ユダヤ総督ピラトに訴えました。

レオナルド=ダ=ヴィンチ」は,「最後の晩餐」(ミラノのサンタ=マリア=デッレ=グラッツィエ修道院所蔵)で,「イエス」が捕えられ処刑される前日の夜に12人の弟子達と食事をしている様子を描いています。

この「最後の晩餐」の際に,「イエス」は“汝らの一人,我を売らん”と言ったとされて弟子達は激しく動揺したとされています。

この発言の後,「イエス」はパンを自分自身の体,ぶどう酒(ワイン)を自分自身の血になぞらえて,弟子達に分け与えて別れを告げたとされています。

こうして「イエス」は,翌日反逆者としてイェルサレム郊外のゴルゴダの丘で自ら運んだ十字架にかけられて処刑された(磔刑)とされています。(紀元後30年頃)

 こうして処刑された「イエス」ですが,ここから現代の科学では説明できない不思議な事が起こります。処刑されたはずの「イエス」がなんと3日後に復活しているのです。

イエスの復活を信じて,彼こそが「メシア(救世主)」(ギリシア語のキリスト)であるとして,「イエス」の示した「福音」に救いを求める信仰が「キリスト教」として誕生しました。

なお「福音」とは,元来ギリシア語で「良い知らせ」という意味です。

 さて,「イエス」の教えは,どのように広まっていったのでしょうか?

「イエス」が活動した地域は,パレスチナでも限定的でした。パレスチナ以外の地域には,「使徒」と呼ばれる「イエス」が選んだ12人の直弟子による伝道で広まりました。

「使徒」の筆頭が「ペテロ」で,初代ローマ教皇とされます。

また,「イエス」を裏切って敵対する祭司長側に引き渡したのが,「ユダ」です。

パウロ」は,もともとはパリサイ派のユダヤ教徒でキリスト教徒を迫害していましたが,「キリスト教」に回心すると東方の異邦人(ユダヤ人以外の人)に熱心に伝道したことで,のちに「使徒」に加えられました。

「ペテロ」や「パウロ」の伝道によって,ローマ帝国領内の奴隷や下層市民を中心に広まる一方で,「キリスト教徒」は迫害されています。

 それでは,なぜ,「キリスト教徒」は迫害されたのでしょうか?

ローマ帝国では,歴代の皇帝が亡くなると,良き皇帝は死後,国家神とされて崇拝されるようになりました。こうした皇帝崇拝の礼拝儀式に「キリスト教徒」は,参加しなかったために反社会的集団とみなされて迫害されました。

ただし,皇帝主導の迫害は3世紀後半からで,3世紀前半までは民衆主導の地域的なものが多かったようです。

大規模な迫害としては,64年のローマ大火を口実とした「ネロ帝の迫害」や皇帝崇拝拒否したことを理由に303年から始まる最大級の「ディオクレティアヌス帝の大迫害」が有名です。

ちなみに,「ネロ帝の迫害」によって「ペテロ」「パウロ」は,殉教したとされています。

「ペテロ」の墓とされる場所にローマ=カトリック教会の総本山である「サン=ピエトロ大聖堂」が建てられています。

「キリスト教徒」は,迫害にもかかわらず,地下墓地兼集会礼拝所である「カタコンベ」などに身を隠して信仰を維持し続けました。

ローマ帝国が「3世紀の危機」で混乱して社会不安が増大すると,次第に上流階級にも信者が増えるようになりました。「キリスト教徒」は,ローマ帝国領内の各地に信者の共同体・聖堂である「教会」を設立し,5世紀には5つの管区に総主教と呼ばれる最高指導者が置かれる「五本山」が成立しました。

「五本山」とは,「ローマ」「コンスタンティノープル」「アンティオキア」「イェルサレム」「アレクサンドリア」の「教会」です。こうした状況の中,「キリスト教」の教典である『新約聖書』が編纂されいます。

 『新約聖書』の「新約」とは神との新たな契約を意味していて,イエスの言行録である『4福音書』(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)・「ペテロ」「パウロ」の伝道を中心に叙述した『使徒行伝』・『使徒の書簡』・『黙示録』の27書からなり,コイネーというギリシア語で記述されています。

推定で1世紀頃から記述され始めた考えられ,27書を正典と定めたのは4世紀です。この後,「キリスト教」は4世紀に公認・国教化され世界宗教として発展していきます。

 今回は,ここまで。

今回のテーマは,映画化されている事も多いです。

私は,メル・ギブソン監督の『パッション』がお勧めですよ。是非,時間があったら観てくださいね。ちょっと衝撃的かもしれないですが・・・

次回は,「キリスト教」の公認から発展に関して綴っていきたいと思います。

この記事を書いた人:車田恭一

30年以上にわたり教壇に立ち、都内私立高校、河合塾、Z会東大マスター、東進ハイスクール、早稲田塾、早稲田ゼミナールなど大手予備校で世界史を担当。当塾のブログで、タイムリーな話題と歴史的な出来事を絡めて綴った「車田先生の日々是世界史」を執筆中。

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